2011年07月21日

ほんとうはあやまってほしかった・・・

台風が過ぎて、すご~く肌寒い福島です。
今日は最高温度が22度であの猛暑のときと10度くらい違う(ぎょぇ~~icon10
今夜は布団が必要です!!

あるワークショップの宿題で

「あなたのお世話になった人の写真3枚と
あなた自身の写真をもってきてください。」


                 生後6ヶ月の私と叔母

ということで、参加者のそれぞれが
写真をもってくるのだけれど、
ほとんどが
家族の写真なのね~~

あたりまえといえば、あたりまえだ・・・

だけど
なぜか
わたしは、家族をさけてるんだよね~~

普段、すごく感謝はしてるんだけど、やっぱり心のどこかで
家族をせめていたり、非難してるんだよなって(特に母に関しては)

言葉で「ありがとう」はいえても、それが心の底からの「ありがとう」ではなかったりして・・・

親から無条件に愛されていた(いる)ことも頭ではわかるし
愛したいのだけど、
なんかそう感じられなくて、できないの・・・


わたしって、すごく不器用に生きてきたなって思う。
つらいときつらいっていえなかったり、
さみしいときさみしいっていえなかったり、
それらを我慢して生きてしまったのかもしれないなって・・・
我慢しすぎると鈍くなるのかもね。

それらを感じないようにする自己防衛が働くのかもしれないよ。

あとね、思い出したんだけど
小さい頃、親指があたるきつい靴をはかせられて
なんだか親指にたこができたときがあったのね。
なんでそんなきつい靴を選んだのかよくわからないんだけど
どれがぴったりして歩きやすいとかしっくりくるとか
自分にとっての心地よいということがわからなかったんだとおもうの
靴はきついものだとおもってた。
今はもちろん、そんなことないけどね・・・
とても窮屈でいやだったな~~ていう感覚だけが残ってる。

だからというか
なぜか
自分にとっての一番を選び取れなくて、いつも二番目を選んできたのね~
なんだか自分が幸せになるのが怖いというか、悪いような気になっちゃうんだ。





平坦で波のないわたしの感情
(そんなことはなくってねひどく落胆してたり、もやもやしてたり
あせっていたりいろいろ感じているんだけどな~それを出せないだけなの、それを出す手段は
涙かもな~)
を不思議だな~って
言ってくれる人がいるんだけど、
そこらへんに理由があるかもね・・・


”許せていないの”


結局のところをは親も自分も

だからね、
ほんとうはあやまってほしかっただけなんだよね~~

だって、大人になれば、そのころの親の気持ちも少しはわかっているはずだし
人の親になればなおさらにそうだよ。(親にはなっていないけど)
だけど子どもの自分はどこかに置き去りにされていて

ごめんね~
さみしかったね~
ごめんね~
つらかったね~

ってあやまってほしいな~~

ただそれだけ・・・
今からでも遅くはないかもね♪
うまくつたえられればいいんだけど。

そして自分自身にたいして
その感情があったことを
認めてあげよう。

いままで、気付かないふりをしていてごめんね
ゆるしてねicon01